信じることがすべて

SWITCH読みました。Hがヲタ寄りの目線でこれまでとこれからの嵐を的確に文章化してくれていたとしたら、こっちはもう少し俯瞰な視点から、より一般的に今の嵐を解説してくれている感じ。そんなテキストの最後に、嵐を見て得られる一番強い感覚が「幸福感」であると綴られていることはとても嬉しい。


嵐って変なグループだなあ。すごくナチュラルで飾り気がないとは思うけど、それは必ずしも「普通」という単語には繋がらない。昨日のHEYでも、お歌部分を見ているときはまたしても涙が出るほどしあわせな心持ちで、これはWISH以降ほぼ毎回感想として挙げてきたから今更もう書かなくてもいいかーとか思いもしたんだけど、でもどう考えても、どのパフォーマンスに於いてもそんな風に感じさせてくれるなんてのは、いくら良い楽曲を貰っているといってもやっぱり絶対「普通っぽい」なんて形容は当て嵌まらない。ただその幸福な心持ちは、松本さんが言う「アイドルという存在に対して好意的」である人だけが受け取れるものなのかな、と思っていました。好きだから特別、その感情は大前提としてあるけども、けどこのSWITCHのグラビアを見ても、やっぱり誰一人として「普通」には見えない。
なのに何でだろう、二宮さんが語る「一般のあんちゃんがどこまで飛べるか」なんて言葉にすごく納得してしまうのは。5人で写る表紙を見て、こういうユニクロ着てただ並んで立っているだけみたいなシンプルな構成が一番しっくりくるよ、などと強く思うのは(それは私の好みによるところも大いにあるが)。もっと言い得た表現もきっとあるとは思うけど、今の私には「変わったグループだなあ」なんて言葉でしか表せない。


自分語りで恐縮ですが、嵐を本格的に好きになってしばらくの間、彼らを取り巻くものや彼らから発せられるものの殆どは虚構で、それをそのままに受け取ることに対して強い危機感を覚えていました。これはそれまで私が没頭していた対象に比べて、アイドルというジャンルにおいてのアウトプットの手法があまりにもサービス旺盛であったせいもあると思います。けどその奥では、自分が好きな対象に嘘を付かれていると感じるのが嫌だったんだと思う。私はこの供給されている形が意図的に作られたものだって判ってるよ、だからそれを見たままに騒いだりなんてしないよ、なんて当時は下らない選民意識だなーと自嘲してたけど、今にして思えば自衛の部分もすごくあるよなあ。
もちろん今でも、彼らの見せてくれる全てが本当だなんて思わない。けど、彼らを見て感じるこの気持ちはどれ一つだって嘘じゃない。そして、彼ら5人が歌い踊っているのを見るといつも幸福だと感じる。それが本当に嬉しい。